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 学徒動員のために南区で寮生活をしていた府中市阿字町の中村博さん(76)が、原爆の熱線を浴びたトランクを原爆資料館(中区)に寄贈した。中村さんは「戦時を生き抜いた懐かしくて大切な思い出が詰まっている。多くの人に日本の歴史を感じてほしい」と話している。【井上梢、前本麻有】
 中村さんは旧制府中中2年の時、希望して旧国鉄の準職員として学徒動員で広島市内に入った。45年8月6日は朝食を食べようと、寮の玄関で靴を履いた瞬間に光った。爆心地から1・9キロ。けがはなかったが、寮の裏から火が出て、近くで爆発が起きた。急いで部屋に戻り、貴重品や下着、教科書、米兵と戦うための脇差しなどをトランクに押し込んで飛び出した。寮は全焼し、寮長一家は亡くなった。


 機関区事務所に向かうと、続々とけが人が集まってくる。国鉄のトラックに乗って、市内で食べ物を配る救護活動を手伝った。2日後は死体の片づけをした。まだ13歳。ブヨブヨに膨れる腐った死体を素手でつかみ、積み上げる作業は最も嫌な思い出。指先が記憶を忘れない。被爆体験を話す時も、子どもた
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 その後、トランク一つを担ぎ、実家に戻った。着いたのは夜中だったが、家中が大喜びで迎えてくれた。1カ月ほどして、脱毛や歯茎から出血が始まった。学校の弁当の時間に、血が止まらなかった。友人はあまり近寄らなくなった。その後も胃がんや白内障を患い、原爆症認定を申請している。
 当時、高級品だったトランクは革が黒焦げ、中の布もあちこち破けている。トランクとして使用価値はなくなったが、倉庫のいつも目に留まるところに置き、63年間捨てることはできなかった。「意識したことはなかった。ただ、心の底に押し込めてきた苦しみが詰め込んである」

8月2日朝刊
(引用 yahooニュース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080802-00000224-mailo-l34)


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