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【PJ 2007年10月14日】- 慶応3年10月14日(新暦1867年11月9日)15代将軍徳川慶喜は、大政奉還の上表を朝廷に提出した。

「臣慶喜、謹テ皇国時運ノ沿革ヲ考候ニ、昔王綱紐ヲ解キ相家権ヲ執テ、保平ノ乱、政権武門ニ移テヨリ祖宗ニ至リ、更ニ寵眷ヲ蒙リ、二百余年子孫相受、臣其職ヲ奉ズト雖モ、政刑当ヲ失フ事不少今日ノ形勢ニ至候モ、畢竟薄徳ノ所致、慙懼ニ堪ヘズ候。
況ヤ当今、外国ノ交際日ニ盛ナルニヨリ愈朝権一途ニ出申サズ候テハ、綱紀立チ難ク候間、従来ノ旧習ヲ改メ、政権ヲ朝廷ニ奉帰、広ク天下ノ公議ヲ尽シ、聖断ヲ仰ギ、同心協力共ニ皇国ヲ保護仕候ヘバ、必ズ海外万国ト並立ツベク候、臣慶喜国家ニ尽ス所、是ニ過ギズト奉存候。
去リ乍ラ猶見込ノ儀モ之有リ候得バ、申聞クベキ旨諸侯ヘ相達シ置候。

之ニ依テ此段謹テ奏聞仕候。以上」

 翌10月15日、朝廷は徳川慶喜の参内を求め、大政奉還勅許の御沙汰書を渡した。この日(新暦では11月10日)
は、皇室にとっては非常に重要な日となっている。つまりは、1915(大正4)年11月10日、大正天皇の即位礼、1928(昭和3)年11月10日、昭和天皇の即位礼が挙行された。1940(昭和15)年11月10日には、紀元2600年の記念祝典が行われている。1990(平成2)年の11月10日は土曜日であったため、今上天皇の即位の礼は、11月12日に行われた。つまりは、大政奉還が行われ、政治の実権が天皇に戻った日を、明治以降の皇室は、天皇の即位日としているのである。

 大政奉還は、慶応3年10月3日に土佐藩、10月6日に広島藩が15代将軍徳川慶喜にそれぞれ建白書を出していた。10月13日に、徳川慶喜は京都二条城の奥書院に在京の幕閣、幕臣、10万石以上の諸藩重臣を集め、大政奉還を諮問する。(教科書などにある有名な絵で知られている光景である)そして翌日の上表となる...ニュースの続きを読む

(引用 livedoorニュース)


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