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 芥川龍之介の『手巾(ハンケチ)』を初めて読んだのは、高校時代だった。しかし、恥ずかしながら、このころ、郷土の偉人である新渡戸稲造のことは全く知らず、従って、この短編小説に出てくる大学教授、長谷川謹造のモデルが新渡戸であることも分からなかった。ただ、長谷川のもとを訪れ、息子の死を微笑さえ浮かべて報告する母親が実は、テーブルの下でハンカチを握りしめ、悲しみを必死にこらえているという情景が記憶に残った。

 新渡戸が長谷川のモデルとうかがえる根拠は『手巾』の随所にある。「先生の専門は、殖民政策の研究」「先生の校長を兼ねてゐる或高等専門学校」「先生は、留学中、米國で結婚をした。だから、奥さんは勿論、亜米利加人である」「先生は、これ(=最近の精神的堕落を救済する途)を日本固有の武士道による外はないと論断した」「先生は、(中略)自ら東西両洋の間に横はる橋梁にならうと思つてゐる」…。



 冊子『新渡戸稲造研究』を毎年発行するなど、新渡戸のことを全国に発信している新渡戸基金の藤井茂企画部長も「全くモデルと考えていい。(作
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 芥川は明治43(1910)年、旧制一高に入学。3年後の大正2年に東大英文科に進学する。新渡戸はこのころ、東大教授と一高校長を兼任していた。芥川が『手巾』を発表したのは東大を卒業した5年の秋だった。

 藤井さんは「芥川は新渡戸にあまり近づかなかったようだ。新渡戸が一高の近くに借りていた一軒家に、よく生徒が訪れていたが、芥川が行ってる形跡はない。だけど、そういうことをやっていることは覚えていたんだね。校長のことはよく見ていたと思う」と語る。『新潮日本文学アルバム 芥川龍之介』を手に取って、2人が一緒に収まった卒業式の写真を示した...ニュースの続きを読む
(引用 yahooニュース)


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