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 ◇父の悲劇を伝えたい--浅野芳友さん(江津)
 「父は『自分のように骨で帰っちゃだめだ』と伝えたかったんじゃないか。私に何ができるのか」。今年6月、浅野芳友さん(66)=江津市浅利町=の元に、シベリアに抑留され亡くなった父勝さんの遺骨が戻った。厚生労働省に申請したDNA鑑定で、身元が判明した。浅野さんは、66年ぶりに戻った無言の父と向き合い自問する。
 浅野さんが生後約6カ月の1941年、父は召集令状を受けた。旧満州(現在の中国東北部)の国境警備にあたっていたが、終戦直前の45年8月、対日宣戦布告した旧ソ連軍の攻撃を受けた。父は同年10月ごろ、シベリアに抑留され、アムール州ライチハ収容所で土木建築などの重労働の末、体調を崩し入院。47年1月、同州ザビチンスク市特別野戦病院で栄養失調、赤痢のため死亡したという。


 浅野さんら家族の元にはその年の11月、知事名で父の戦病死通知が届いた。まだ6歳だった浅野さんは、父の遺品の髪とツメの入った桐(きり)の小さな遺骨箱を首にかけ、葬儀に参列した記憶が残る。
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 浅野さんは父が召集されて以来、母チエ子さんと祖父母の手で育てられていた。
 遺族年金を受給するようになった母は「年金を生活費に使いたくない。何か形に残るものに使いたい」といい、自分たち夫婦の墓を建てる費用に充てた。墓は自宅から5分ほどの、日本海が一望できる墓地に建てた。
 その6年後の76年、チエ子さんはすい臓がんを患い、夫の遺影を抱きながら亡くなった。66歳だった。
 浅野さんは「父の遺骨が戻ってくるなんて考えられない時代だった...ニュースの続きを読む
(引用 yahooニュース)


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