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【PJ 2007年08月11日】- (中)からのつづき。第九回伝統大道芸名人会での大正演歌は、おかしなバイオリン弾きの福岡詩二さんと、音大出の弟子でバイオリニストの福岡詩乃里さんとの共演だった。

 詩二さんがまず大正時代に流行した「逢いたさ、見たさに、恐さを忘れ」の歌詞ではじまる、乙女の心を歌う『かごの鳥』から。詩乃里さんは『バラの歌』。ふたりは大正の歌をバイオリンで弾(ひ)き、語る。呼吸の合った、ふたりの美声から大正ロマンが感じられた。

 「うちの親父ははげ頭、隣の親父もはげ頭」というなじみの歌が、外国曲の替え歌だと解説をつけ加える。詩二さんは終始、観客に大正時代の知識を授けていた。

 「船頭小唄」は野口雨情が作詞。

かれがいかに貧乏していたか、と詩二さんが語る。雨情は年の暮れに死を覚悟し、利根川の枯れたススキを見ていた。ただ、もう一年は生きてみようと思った。それらの情景と心情を歌詞にしてから、中山
己燭里箸海蹐忙?噌?鵑澄

 「慎平は甘い作曲が多い。あまりにも暗い歌詞なので、放っておいた。雨情からは何度も催促があった。慎平はしかたなく当時流行していた『金色夜叉』のメロディーを使った替え歌として、適当に作曲した。それが大ヒットした」という経緯を語ってから、「船頭小唄」を歌った。
 
 若手の弟子が舞台に多く上がったのが、丸一仙翁(まるいち せんおう)さんの太神楽だ。丸一さんは12代目の鏡味小仙の芸養子となり、05年に13代丸一仙翁を襲名した。

 太神楽は神官の行事で、大道芸の元祖ともいえる。三味線と太鼓と囃子(はやし)で、リズミカルな曲が流れると、弟子たちによる「傘の曲芸」がはじまった。傘の上にのせた茶碗(ちゃわん)、鞠(まり)などが廻(まわ)りだす...ニュースの続きを読む
(引用 livedoorニュース)


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